幼美つれづれ草 −第10回− 「 迷いは学び?」
NHK大河ドラマ『鎌倉殿の13人』(8月28日放映)で以下の様なシーンがありました。
仏師運慶と久方ぶりに再会した北条義時(通称小四郎)。運慶が「小四郎、何年ぶりだ?」と問いかけます。「15年になります」と答える義時の顔をしみじみ見ながら、「お前、悪い顔になったなぁ」との言葉に、ばつが悪そうに頭を下げながら「それなりに色々ありましたから・・・」と義時は答えます。それを聞いた運慶も一息して、「だがまだ救いがある・・・。お前の顔は悩んでいる顔だ・・・。己の生き方に迷いがある・・・。その迷いが救いなのさぁ」と言います。胸の内を見透かされたような言葉に少し泣きそうな表情のままにうつむく義時に、運慶はさらに言葉を続けます。「悪い顔だが、良い顔だ」何とも言えぬ顔の義時に運慶は、「あぁぁ、いつかお前の為に仏を彫ってやりたいなぁ」と。それまで頭を下げたままの義時はちらりと運慶に顔を向けます。すると「うぅん、良い仏が出来そうだ」と笑顔で言います。その言葉にこみ上げるものを押さえ「有難うございます」と、どこか安堵の表情も醸しながら神妙に応えます。
番組タイトルの通り、13人の御家人間のパワーゲームで将軍の首は挿げ替えられていきます。義時が懸命に幕府の舵を取ることは、イコール、幼いいのちも含め多くのいのちを奪うこととなります。それを厳しく非難する息子泰時をかつての自分に重ね、苦悩する義時です。その非情であり苦悩する顔をめぐるシーンです。
8月22日に滋賀幼年美術の会夏季研修会に、京都幼美のスタッフ3人で参加させていただきました。幼美の名乗りの証しでもある、こどもの日々の絵を持ち寄り、互いの教育・保育を振り返る大切な学びを、午前の実技研修に続き、午後からたっぷり堪能させていただきました。
私のグループでは、参加者が色々な悩みを抱え、こどもの絵を持ち寄り、互いの経験や意見を語り合いました。実は悩む必要のないことであったり、悩みを通して、個々の反省や新たな学びに発展したりと、有意義な時間でした。
一方、他のグループに参加したメンバーの話を伺うに、何の悩みもなさそうに、どちらかというとどや顔で、自分達が用意した丸く切った色紙を3歳児に糊で貼らせ、そこに何かを描き加えた「はらぺこあおむし」の様な絵を前に、何の疑問も悩みもなく、その活動を紹介されていたとのこと。逆に疑問や戸惑いを覚えた参加者からの質問にも、特に気に留められることもなかったとのこと・・・。
幼美の学びは、自省に裏付けされた悩みを、共に分かち合い、共に悩み考えることだと思います。倉橋惣三は「自省は教育者不断のこころがけである。(中略)教育者とは子供を教育する前に、常に自らを教育するものであり、子供と共にいつも成長しつづけていくものでなければならず、自省こそ、おとなの自己教育の途だからである。」(保育者自省の好機~4月の新しい幼児を迎えて~)と述べています。
自省の鏡となるものを学び、そこに映る自らの姿に迷い悩むことを共有する、幼美の学びを大切にしていきたいですね。
プロフィール
羽溪 了(はたに さとる)
1960年生まれ
龍谷大学 短期大学部こども教育学科 教授
(公財)美育文化協会評議員
京都幼年美術の会会長
京都教育大学非常勤講師(2021年度~)
専門は、現代日本画制作(日展を中心に発表)、保育内容「表現」、美術教育、絵本学。
この間、教員・保育者養成大学勤務の中、こどもの表現を中心に、現場の教員・保育者が共に学びを積み重ねて来た幼年美術の会(以下幼美)と出あい、全国夏季大学を中心に参加。京都の現在の所属校への移籍を機に、全国幼美を支えてきた京都幼美からスタッフとしてのお誘いを受ける。又同時に、全国幼美の機関紙編集担当として常任委員に就任し、現在に至る。2019年に京都幼美の故奥山淑子前会長から会長職を預かり、現在に至る。保育=こどもの生活の中でアートのなす役割が何であるのか?出来栄え・成果に目や心が移るスケベ心との闘い、又それらを凌駕する、こどもからの実践的学びを共に続けていきたいものです。
全国幼年美術の会 常任委員